言葉に任せてみた

くだらない、日常で起こったことを書き連ねます

他者の料理

どーも、つみれです。

 

遊んだ時に騒いだつもりないのに喉がイカれそうです。

 

今日もまた、DM関連の話ではないです

 

今日は「人の手料理」について考えていきたいと思います。

 

実は今日の帰りの電車で、人の手料理について語り合ってる女性2人がいて、なんか自分もふと考えてしまい、ブログネタにしようと思いました。

 

高1の時のクラスでもこの事をふと思い、近くにいた仲いい男子に聞いてみました。

 

質問内容は「友達の親の手料理は食べれるか?」

男子A「んーまあ食べれるっしょ」

男子B「まあ食べれるよ」

俺「むりむりむり!!!!」

 

…あれ?友達の親の手料理は食べれるのが普通なのか?と思い、当時同じクラスだったオタクくんにも聞いてみました

オタク「食べれるかなあ」

 

ええええええ!?!

俺しか手料理無理にならない!!!厳しい!!!

 

ちなみに僕が食べれる限界のラインは「仲がよくて清潔そうな人」ですね

 

で、僕が食べれるぎりぎりのラインの話をしたところ

皆「寿司食べんなよじゃあ」

僕「険しい!」

 

そうです、お寿司は食べれます。ではなぜ、板前さんが握ったお寿司は食べれて人の家庭のご飯は食べれないのか、なんとなく説明します。

 

とは言っても、人のご家庭にお邪魔してご飯を作って頂いたのに「食べれない」とかわがまま通すのはどうかと思うので、しっかり食べるんですけどね…

 

○イメージの違い

握り寿司を作る人、などは「仕事」でやっているため、衛生管理をキチンとしているイメージです。

 

対して人のお母さんなどは、不潔というわけではありませんが仕事で料理を作っている人に比べると衛生管理が適当っていうイメージがあります(あくまでイメージです。)

 

そういう固定概念的な何かを持っているからこそ、お寿司は食べれて他人のお母さんの手料理は食べづらいんだと思います。

 

では次に、仲良くて清潔そうな人のご飯が食べれて人の親の手料理が食べられないのはなぜか?を説明します。

 

○接してる時間の違い

両者の差はここにあると思います。

 

てか少しだけ話をずらすんですけど、理由が1つしかないのにわざわざ見出しを作る意味がないですね、まあ消すのがだるいんでこのままで。

 

で、時間の差ですね。

これもイメージに通じるものがあるのですが、「接してる時間が長いため日常の様子が見える=清潔そうか否かのイメージがつきやすい」

っていうところで差がつきやすいのかな、と。

 

人のお母さんと接する時間なんて滅多にないですしね。

 

まあこんなことから、よくわかんない線引きで料理を食べれるかどうかが決まっていきました。

皆さんは誰の料理までなら食べられますか?

 

なんの面白みもない記事でした。うぅ…

 

そろそろギャグ方面の記事書きます。さよなら